『明石家さんまの壮絶な生い立ち』~生きてるだけで丸もうけの本当の意味~
実母はさんまが三歳のときに病死している。(さんまが)小学校高学年の時に父が再婚、さんまには年の離れた弟(故人)ができた。
「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、さんし(今のぶんし)のラジオ『ヤングタウン』でね。二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います」
元妻 大竹しのぶの連れ子に気を使うさんま:
継母の件があったから、さんまは元妻大竹しのぶの連れ子ニチカをすごく可愛がっている。子供らに自分のことをボスと呼ばせてるのもニチカに対する気遣いらしい。家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。成長したニチカは慶應に進学。学生時代の友人と起業。
継母はずっとさんまを完全無視してて、まるでさんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかける。さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考える。そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって一躍人気者、お笑いの道へ。
さんまの弟(当時19歳)は火事が原因で亡くなっている:
弟は実家の火災で亡くなった。当時弟は高校生。さんまは冠番組を持つほど人気があった。「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」
大竹しのぶの話をよくするのは生立ちの話をしないためのバリアみたいなもの。プライベート話をしてるようでしていないと付き合いの長い浅田美代子が発言していた。
日本航空123便墜落事故でさんまは死んでいた?!:
日本航空JAL123便墜落事故とは、1985年8月12日に起きた単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故である。その数は520名に及ぶ。
さんまは当日、東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、当便で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。だがたまたま「ひょうきん」の収録が予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れた。
さんまは事故当日の生放送のラジオレギュラー番組では言葉を失うほどのショックを受け、番組をこの事故の報道特番に切り替えた。さんまはこの事故をきっかけに、新幹線で行ける範疇の場所(東京~大阪の往復など)へは飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。
笑顔の裏には、いろいろな想いが隠されていたのですね.『生きてるだけで丸もうけ』の言葉の意味の深さを知りました。やっぱりよく笑う人ほど悲しみを抱えてるんですね